2009年6月29日
メキシコと日本の関係
江戸時代の始めの1609年(慶長14年)、フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がマニラからの帰途に、大暴風の為房総の御宿海岸に座礁難破した。地元の漁民達に助けられ、時の大多喜藩主本多忠朝がこれら一行を歓待し、徳川家康が用意した帆船でメキシコへ送還したことから、日本とメキシコとの交流が始まった。
そして1613年(慶長18年)に仙台藩主伊達政宗の命を受けた支倉常長は、ローマ教皇に謁見すべくメキシコ、スペインを経由しイタリアのローマに向かった。支倉常長ら慶長遣欧使節団の乗ったサン・フアン・バウティスタ号は太平洋を横断しアカプルコへ、その後陸路メヒコ市を経由し大西洋岸のベラクルスからスペインへ至った。メキシコでは大変手厚いもてなしを受け、現在、記念碑や教会のフレスコ画などに当時を偲ぶことができる。
また、日本が開国して諸外国と通商条約を結んだなかで、1888年(明治21年)メキシコと締結した日墨修好通商条約は日本にとって初めての平等条約であり、諸外国の駐日大使館のうちでメキシコ大使館のみ東京都千代田区永田町にある。
19世紀末には榎本移民団によるメキシコへの移住が始まり、第二次世界大戦後まで続いた。移民者の数は総計10,000人余りに達し、その子孫が現在でもメキシコの各地に住んでいる。
第二次世界大戦時に日本が枢軸国、メキシコが連合国につき国交を断絶するが、大戦後に国交を回復する。以降の高度経済成長期に日産自動車や日立製作所、JALホテルズ(ホテル・ニッコー・メヒコ)や東京海上日動など、重工業から観光業、金融業など様々な分野の日本企業が進出し、経済・文化的交流が行われる。
特に、日本企業としては最初期の1966年7月にメキシコ現地工場での自動車生産を開始した日産自動車は、アメリカとの国境地帯とメヒコ市との中間点に位置するアグアスカリエンテスやメヒコ市郊外のクエルナバカに工場を持ち、2004年度販売台数ベースでトップシェアである(親会社のルノーと併せての台数)他、NAFTAを生かしてアメリカやカナダへの輸出を行う。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
こんな関係があったのですね。とても意外でした。
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